
NO8 五代友厚
(ごだい ともあつ)
少年時代に目にした世界地図で、アジアの隅々まで進出していた超大国イギリスが
日本と同じ小さな島国だと知り、「日本も世界有数の国になれるかもしれない!!」と大志を抱く。
幕末、日本が開国に踏み切ると、友厚は藩の貿易係として長崎に派遣される。
長崎でイギリス商人と交渉し、「近代武器の輸入や薩摩の特産品の輸出事業」で活躍。
薩摩英国留学生に同行して、海外のリアルな近代を目の当たりにする。
明治になり、五代は新政府により大坂に派遣され、大阪の近代化を任されたが、程なく横浜への移動を命じられる。
維新後の動乱冷めやらず、「まだ大阪の経済は無法地帯で、不況から抜け出せていない!!」
五代は官職を辞職して…「大阪にとどまり、経済を立て直す!!」と決心。
その後、大阪株式取引所を開設し、大阪商法会議所(現在の商工会議所の前身)を創設、初代会頭となる。
大阪の経済を発展させ、「大阪財政界の父」と称された。