熱き魂の眠るこの地にて!!
あなたは、鹿児島の偉人達が眠る場所を知っていますか??
こんにちは、「junoji」の新町です。
きょうは、鹿児島の熱き魂の眠る大切な場所を紹介します。
「junoji」 にとっても大切な場所で、我々 「junoji」 の再始動式もここで行われました。
それくらい我々 「junoji」にとっても大切な場所でもあります!!
それでは、この場所を紹介します!
9月24日、西南戦争で沢山の薩摩の優秀な方たちが亡くなった日であります。
その薩摩の偉人達が眠るこの地の名前は「南洲墓地」。
南洲墓地は、南洲つまり西郷隆盛を祀っている墓地なんですが。
それ以外にも沢山の偉人達が、祭ってあります。
西郷隆盛(さいごうたかもり)の墓を真ん中に、桐野利秋(きりのとしあき)、 篠原国幹(しのはらこっかん)、村田新八(むらたしんぱち)と西郷さんが寂しくないように、周りに親しかった方々が並んでいます。
南洲墓地は本当に眺めのいい場所で、鹿児島市街と桜島のこんな風景が一望できるすてきな場所にあります。


昔の風景はこんな感じで、鹿児島の城下町見下ろせてたようです。
鹿児島市街の展望できる景色としても、素晴らしい場所です。
西南戦争で命を落とした 薩摩軍 武士達が その墓群 に眠っています。
先ほども説明したとおり、この墓地の場所は、鹿児島のシンボルでありま
す。錦江湾と桜島が一望できる場所にあります。
この錦江湾と桜島が見えるようにと、 ほとんどの墓が、桜島と錦江湾が見えるように、 桜島に向かって整列して並んでいます。
「アレッ!ちょっとおかしい並びが・・!!」
「上の 写真左のお墓、そう木の横のお墓、一つだけちがう向きになっていませんか??」
「近くで確認してみましょう!!」


「ンン??」
??
「 大分のお侍さんのお墓??」
「 ずっと武士として生きてきたお侍さんにとって、明日から刀をささなくていいよって急に 言われても、なかなか変化に馴染むことができなかったんじゃないでしょうか??」
「 お侍さんで、最後まで死をえらんでほかの藩から西南戦争に参加されたお侍さんもいたんでしょうね??」
「そうするとこのお墓は??」
このお墓をつくるときに、県外から参加した兵士は、遠くはなれた自分の故郷に向けられて並べられているんですね・・。
「はからいが、ニクイ!!」
この墓地を広く眺めてみますと、ところどころに向きが違ったお墓があります。
その向きが違ったお墓たちは、遠く離れた故郷に向かって並べてあります。

西郷さんたちが亡くなられて植えられた、イチョウの木。

境内の中に入ってみますと、このような西郷さんの似顔絵と、西郷さんの座右の銘「敬天愛人」の直筆の文字が、西郷さんの字は、大きく力強いのが文字の特徴ですね。
まさに、西郷さん一色です・・。

これが命日の日でありますと、それぞれの子孫の方々が、 おのおのの祖先にお墓詣りに来ています。
一日いますと、私は誰々の子孫だって方に会えますよ!!

篠原国幹(しのはらこっかん)。
明治天皇をおまねきした、千葉の演習地で、軍事演習を行い、明治天皇はその指揮ぶりにいたく感動して、「篠原に習え」とその演習地の土地の名前を「習志野(ならしの)」とついたと言い伝われています。
今でも、習志野には駐屯地があります。

村田新八(むらたしんぱち)
この西南戦争の時にも、フロックコートとシルクハットといういでたちで戦場にまで、アコーディオンを持っていたいたん児だが、戦いに戦い抜いた男。

桐野利秋(きりのとしあき)
本当は今日の一番気になっていたお墓。
普段なら、全国から来た歴女が赤いバラとフレグランスで覆われているかなって気になっていたんですが、今日はあまりしっそでした。
彼は戦争の時は血なまぐさくなるのを嫌い、戦場にはフレグランスをふって戦っていたそうで、香水も多くお供えされています。

やはりフレグランスは置いてありましたよww
今日は私のお気に入りの場所、「南洲墓地」をあなたに紹介させていただきました。
私たち鹿児島の人間にとって、本当に力をもらえて、「ビット」身のしまる場所でもあります。
多く見積もっても、一時間ほどで見て回れる場所です。
「 あなたも、 、鹿児島にお寄りの際は、立ち寄ってみてはいかがですか??」
新町でした。